戦前右翼の二派(皇道派、統制派)と2.26事件

【1、右翼思想は一枚岩ではない】

 戦後世代のわれわれは右翼をひとまとめにして軍国主義と暴力集団の集まりのようにとらえがちだが、実は似て非なる議論がいろいろあった。

 現代は戦前思想を十把一絡げにして過激な軍事思想として否定してしまっているため戦前思想の整理ができなくなっている。

 こうなった理由は

1、戦後天皇制に脅威を抱いたアメリカが天皇制を維持しようとする勢力を打ち砕き、有力な学者や政治家をことごとく外してしまった、

2、左翼陣営やアメリカから大量のスパイが侵入して反天皇思想をばらまいた、

3、反天皇を主張する者が教育者、学者、日教組のリーダーとなって日本の国民を教育したことにより、日本人の思考と文化はアメリカの資本主義と民主主義、政教の分離、日教組による教育により日本人としてのアイデンティティが破壊されてしまった

ことによる

 そのため、アメリカですらめったにみられない国家斉唱を拒否する公務員教師、国旗掲揚を嫌う公立学校教師が出現することとなった。

 これは他国の思想が日本人に植えつけられてしまったこと。またもともと異国人であったこと。日本側からの視点を失ったために生じる。その結果彼らはもはや自分の国を愛することができないという思想的な統合失調に悩まされることになる。

 他国の人間が日本に住むことを否定するものではない。

 しかしながら公立学校で教鞭をとる公務員が国旗を踏みにじり、国家をうたわないというのは、国の統制をとるうえでいかにもまずい。

 たとえば自衛隊が自国の国家や国旗を踏みにじって目前の敵に懺悔するようでは戦えない。

 自由主義のもとにあって思想は自由であるかもしれない。しかしながら、公教育では国としての教育に一貫性が必要である。公務員としての線引きが必要なはずであるが、それが日本では壊れている。

 また教師が集団にしたがわない態度を見せれば、集団の規律を教えることができなくなってしまう。信念があれば従わなくてもいいという態度を教師が見せれば、子供たちの集団への適応能力は低下して、将来会社などの組織で活動してゆくうえで障害になる可能性もある。

 イエスマンになれというのではない。しかしことあるごとに組織的行動を乱すような人物を量産してしまったら、社会としても国としては秩序が保てなくなり、また個人にとっても不幸なことであろう。

 私立には私立の方針があるそれはそれでいいが公立学校には公立学校の方針があるべきだ。知識を提供し、知識を吸収させる。教育はダウンロード機能でいいというのであれば、何も学校である必要はなくネットで授業を行えばもっと質のよい教育ができるだろう。

 成人式で暴れる20歳が出現した背景にはそのような国の政策のミスがあり、なぜこんなになったのだろうなどととぼけたふりをする大人がいたとしたらバカとしかいいようがない。

 【2、戦前の右翼思想を見極めるための基準】

戦前の右翼といえば皇道派と統制派という分類がある。

どちらも皇室を中心に国家を動かすことを考えてはいたが、

皇道派天皇親政をはっきりと打ち出し、国家社会主義的な思想には反対し、クーデターには反対だった。天皇機関説には反対。中国不拡大方針

●これに反して統制派は東条英機国家総動員法にみられるように軍部が国を統制するという思想が強く、時としてクーデターを手段として使った。中国を屈服させてソ連に向かう。中国への戦線を拡大したかった。

特に対中国の方針で皇道派と統制派の対立は大きくなったらしい。

 

あれ?2.26事件は皇道派じゃなかったっけ・・・と思った人は少しは歴史の本を読んでいる人だろう。

【3、永田VS真崎の対決】

 実はあのクーデターは統制派の永田が皇道派を葬って統制派が優位に立つために仕組んで準備していたともいわれている。

 皇道派の真崎はこのクーデターの首謀者であることを疑われたが、のちに無罪とされた。戦後アメリカの検事が詳細に調査したときも真崎の関与はみとめられず、彼はむしろスケープゴートにされたといわれている。

 永田は自己の野望を貫徹せんとして事件前、皇道派真崎の悪評を流し真崎を要職から更迭するようしむけた。それを恨んだ相沢中佐が永田を殺害したのである。

 そして統制派は、荒木・真崎らエリート皇道派にあこがれる青年将校を扇動して2.26事件を起こしたというのが真相のようです。この扇動に一役買ったのが北一輝というわけです。

 皇道派とは荒木貞夫陸相になった際に要職につけた自らの近しいエリートを指す。陸大卒ですらない相沢中佐や2・26事件の青年将校は本来は皇道派として論外であり、実際に派閥的なつながりは皆無だった。

 永田鉄山は頭の回転もよい秀才で皇道派の将校に殺害され、天才的な政略家として亡き後、惜しまれたが、統制派の部下が書いて出版させたパンフレット国防の本義と其強化の提唱を読むと本当にそうだったかと首をひねりたくなる。

軍人としてはそれなりに優秀だったのかもしれませんが思想としてはあまりにも凡庸で、戦時中の東条体制を彷彿とさせるもだ。

 東条は永田の統制思想を受け継いで国家総動員法を成立させたのです。

 しかしながら永田鉄山の評価が高く、真崎大将の評価がやや低いのは、永田鉄山が真崎大将の悪評を意図的にリークして更迭をすすめたからだといわれています。

 更迭が永田の差し金と知った皇道派の相沢中佐が永田鉄山を殺害しました。

 また石原莞爾は英雄視されているが、真崎とは仲が悪く、永田鉄山とは中国(満州)進出の件で意見が一致していたらしい。

 逆に真崎大将は軍不拡大の方針をとり、これは昭和天皇と意見が一致していた。

 永田鉄山ルーデンドルフというドイツ軍人に心酔していたようであるが、これはのちの東条英機のような人物で国家体制を戦争のためにつくりあげたような人物である。

 戦前右翼思想の巨頭といわれるには北一輝大川周明があげられる。

 中でも北一輝は大部の書物を執筆し、経済界のコネクションから金銭を工面し、2.26事件の青年将校に影響を与えたといわれている。ところがこの二人の思想はいずれも右翼、天皇制というよりは、天皇を利用した国家社会主義といえる。

 このことを真崎大将は見抜いていた。

 「北一輝の『日本改造法案大綱』はロシア革命におけるレーニンの模倣で、それを基にした国家改造は国体に反する、とし、大川周明の思想は国家社会主義であって、共産主義紙一重の差である、と結論づけた。」

そして軍人が参加して革新運動をやると、軍隊を破壊するだけでなく、日本の国を危うくすると認識し、そういう思想の持ち主を注意人物とし、軍人が彼らに近づくことを警戒していた。

 つまり世間で言われている皇道派と統制派の思想は逆で、クーデターをたびたび画策していたのは永田鉄山を筆頭とする統制派のほうで、むしろ真崎大将らはクーデターを警戒し、北一輝らの思想否定して遠ざけようとしていた。

 またカウンターくでたーと言って、皇道派にクーデターを起こさせるか濡れ衣を着せて、統制派がそれを鎮圧するというカウンタークーデターの計画もたびたび露見していた。 

 

※陰謀が露見した士官学校事件

 この事件は軍務局長の永田鉄山士官学校幹事の東条英機が黒幕として、陸軍中央部、士官学校憲兵隊、軍法会議と広範な連絡の下に、士官学校の生徒を扇動して、大規模なテロ事件を計画させ、岡田内閣や政界の重臣らを屠り、その責任を教育総監真崎甚三郎に帰して、皇道派の勢力を陸軍から駆逐して、統制派の軍政を敷こうと計画したが、士官学校の生徒がその陰謀に乗らなかったので、事件を直接画策した片倉衷と辻政信が、自ら描いたテロの陰謀計画をもって、皇道派青年将校士官学校の生徒の不穏計画として密告し、彼らを弾圧し、それをもって士官学校の直接監督の地位にある教育総監の責任を問わんとした事件である 

 

【3、天立君主立憲と立憲君主の違い】

簡単に言うと皇道派出口王仁三郎の説く本来の皇道思想では、天が君主を立て、君主が民のために憲法を立てると考えるが、北一輝美濃部達吉天皇機関説では、天皇も国家という組織の一部で国家の決める法律に従わなければならないことになる。

戦後の視点からみれば、天皇が国家の上にあるのはおかしい。そんな超法規的扱いを受けることはおかしいというだろう。

つまり戦後の憲法天皇を国事行為を行う一機関としてあつかい、立憲君主として違和感を持たないだろう。

今の日本人は素朴にも法律ですべて片が付くと思っている。ところが人間のつくる法律というのは万古不易のものでなく、作られた瞬間時代遅れになっている部分もある。時代が変わり作られた法律が想定しないようなことが次々起きるからだ。

天皇が超法規的に考えられ、国家の上に位置するという考えは日本が法律や機構という無機質なものが国を治めるのではなく、生きた尊敬できる魂が国民の魂と共感し、手段として法律が使われるということを想定していたのだ。

いかに国民の投票で選挙した人々が多数決で法律を作ったとしても、衆愚ということは起こりうる。

そんな中で、神聖、高貴というものと結びついた存在が国の中心にいるということは、私たちの生きる目的をそちらに結び付けてくれる。

たんなる言葉や概念ではなく。生きた神聖さの象徴に心を向けることによって、そしてその存在を尊敬することによって国民の魂に流れ込む。

そのことで国民が一体となって魂が引き上げられる。そういうシステムが太古日本には存在し、それを復活させようとしたのが出口王仁三郎であったし、彼と心をともにした人たちであった。

日本は法治国家ではない徳治国家であるといわれたのはそういうことで、天皇陛下の意思と地位と、国民の意思が一致することで初めてそれが実現する。

逆にそれを妨げる思想が、本来の日本の活力を奪いバラバラにする。

北一輝の思想には革命志向があった。そのことが青年将校を触発した。そしてその革命思想は左翼勢力から流入したものであり、出口王仁三郎らの唱える皇道思想とは異質のものであった。

しかしながら当時においても今日においてもこの区別を理解できる人はごくわずかであり、これが理解できる人だけが、理想的な太古の天立君主立憲政治形態を理解できるというべきであろう。

【まとめ】

天皇を国家という法人の上に置くか下に置くかということである。

天皇を国家の一機関と考えれば、天皇の財産も国家の財産から分配されることになる。天皇は大きな権限を持つが、国家を定めた憲法に拘束される。

過激といわれた北一輝らの思想も同様である。天皇を国家というシステムの中に組み込んで日本を考えている。

これは北がもともと社会主義者であったことも影響していると思われる。彼がスパイだったとまではいわないが、少なくとも日本の右翼思想を誤った方向に導いてしまったといえる。大川周明も変わったとはいえ社会主義から出発している。

つまり日本で有名な北一輝大川周明社会主義の影響を受けて天皇思想を構築したために人為的な間違いをおかしてしまった。

その間違いのカギになる点が天皇が上か国家が上かという点で、彼らは国家社会主義の影響をうけていたため、天皇をその枠内に収めようとしてしまった、そこが最大の間違いだった。

この点を出口王仁三郎は、天皇陛下の独裁でいい、天立君主立憲という言葉で表している。

つまり、天皇陛下は神によって立てられ、憲法に権威を与える権限があるということである。

この名残は日本国憲法でも国事行為として残されていて、この国事行為を国政ではないというのはかな苦しい理屈で、内閣総理大臣最高裁判所の裁判官を任命する者が国政に関与しないという論理には無理がある。

これらの国事行為は国政に関する権能をふるっている証左である。つまりこの日本国憲法は内部矛盾をはらんでいる。

実際には内閣の承認と助言で形式的に行うことになっている。

おそらく、君主の伝統のない国民にはこれが理解できない。

政治的権力のない君主がなぜ、内閣を任命するのか。これは君主制がもっていた政治的権能の名残であるとみることができる。

結局のところどこの国も君主があってもその権能を制限して折り合いをつけているところが多い。これは君主が必ずしも全能ではなく時として夭折、愚鈍、時として横暴であったことが議会や元老院の成立を招いたと思われる。

日本の場合、陛下について述べることは怖れ多いことであるが、一つ問題になるのは昭和天皇ご自身が立憲君主としての立場を通されようとしたということである。これは若いころ陛下ご自身の意見により張作霖爆破事件で筋を通さなかった田中内閣を解散に追いやったことが影響している。

明治憲法は現在の日本国憲法よりははるかに天皇に権威と権能が許されている。しかし明治憲法とても成立の過程で君主の権力を制限するものにするか、制限下に置くべきものかに議論があった。そこである程度の解釈の余地を残しながら成立をさせた。そのことが逆に軍部や政府の暴走を許し、天皇の御意志とは別のところで政治が動き、戦争やむなきにいたる結果となった。

では天皇陛下が意思を明確に打ち出すことで、事態が収拾できたであろうか。

 陛下が意思を明確に打ち出すことで内閣が解散し、組織が成り立たなくなってしまったのである。陛下はその経験から可能な限り憲法を尊重して口を出さぬよう心がけるようになった。

 つまり裃が一致して陛下の意思と一体でないと組織はうまくいかない。国民の考えがばらばらで暴走する輩がいると陛下が強い強制力をもってして政治を動かそうとしてもうまくいかないのである。

 これは日本の統治方法が強制的な専制と異なるところである。国民の思想の一致がぜひとも必要なのである。その前提として政教慣造の一致というのがある。つまり政治も教育も習慣も根本的なところを一致させれば細かい法律を作る必要のない場面が出てくる。

 戦前の事件をみると現場の軍人の暴走がみられる。彼らは陛下を口にしながらも、結果として陛下の意思に背く行動をしてしまっている。つまり軍人の教育と、社会教育が不十分で、異なったものの考え方が国内に広がっていたためである。

陛下が核兵器の開発を制止された。しかるに一部軍人は腹を切ってでも行って詫びるとしている。これは不忠であり、陛下の意志を無視して自分の意志を陛下の存在に結び付けただけだった。かような軍人や政治家が増えた。

中国への侵攻も陛下が意図したことではない。しかるに一部の軍人が目先の利益にとらわれて軍事侵攻を繰り返した。つまり軍の統制が完全にできていなかった。